東京地方裁判所 昭和23年(ワ)3014号 判決
原告 小山久雄 外一名
被告 東京急行株式会社
一、主 文
被告は原告小山久雄に対し金四万円、原告小山房代に対し金三万円、及夫々之に対する昭和二十三年九月二十三日から完済に至る迄年五分の割合による金員の支拂を爲せ。
原告等の其の余の請求を棄却する。
訴訟費用は之を五分し其の三は原告等の負担とし其の余は被告の負担とする。
本判決は原告等において夫々金一万円の担保を供するときは原告等勝訴の部分に限り仮に之を執行することが出來る。
二、事 実
原告等訴訟代理人は、被告は原告小山久雄に対し金十六万五千円、原告小山房代に対し金十五万円、及夫々之に対する昭和二十三年九月二十三日以降完済に至る迄年五分の割合による金員を支拂え。訴訟費用は被告の負担とするとの判決並びに仮執行の宣言を求め、其請求の原因として、被告は、東京都内に於て電車に依る交通事業を経営する会社であるところ、原告等の次男憲二(当時七才)に、昭和二十三年五月二十日午後五時三十分頃東京都世田谷区新町一丁目百十番地先、通称厚木街道路上を南側から西北方に横断しようとし、右路上に敷設してある被告経営の電車軌道を渡ろうとした際、訴外大木美喜男は被告経営の澁谷発二子玉川行電車を操縱して西進し來り、同電車の前部を憲二に衝突せしめた爲、同人をして頭部切創、腹部臓器損傷、腹骨節骨切、右大腿離断、左大腿骨骨折等の重傷を負はしめ、因つて同日午後六時頃死亡するに至らしめたのである。而して右衝突箇所附近の道路は稍々「く」の字形に屈曲しているけれども約百米先まで障碍物なく、且事件発生の当日は晴天であつたから前方の見透しは充分であつた。而も当時事故現場の約十間東方の軌道南側路上には憲二等数名の子供が遊戯していたのであるから、斯る場合路面電車の運轉士たる者は、常に前方を注視し警笛を吹鳴して、子供等の注意を喚起し電車を何時でも直ちに停車し得る程度に徐行せしめて事故を未然に防止すべき注意義務あるに拘らず、全く此等の注意を怠り警笛を吹鳴せず、漫然高速度を以て電車を疾走せしめ、事故発生現場附近に佇立していた数名の婦人に気を奪はれて前方注視を爲さず、憲二に近接すること四米に及び初めて同人を発見し、周章狼狽して急停車の措置に出たが及ばずして、前記の如く電車を憲二に衝突せしめ同人を死亡せしめた。右は運轉士大木美喜男の過失に基くもので、被告は大木の使用者として大木の不法行爲に付其の責に任じなければならない。
仮に右の主張が理由ないとしても、路面電車に依つて交通業務を営む会社として、被告は電車の前方下部に金網其の他災害予防施設を取付け、誤つて衝突する場合があつても之に依り人命を救い得るやう設備を施すべき義務があるに拘らず、当時迄右設備を爲さなかつたのであつて、其の結果本件事故を惹起するに至つたものであるから被告は損害賠償の責任を負担しなければならない。
而して、原告小山久雄は昭和六年慶應義塾大学経済学部を卒業し、現に国産鉱油株式会社に勤務し現住家たる木造瓦葺二階建延坪三十八坪一棟を有する外一ケ月の收入一万円を得、原告房代は其妻で其間に二男二女があり中流の生活を営み子女の成育を樂しみにしていたところ、本件事故により其二男である憲二が非業の死を遂げ、原告等の精神上の苦痛は甚大なものがあるので被告は原告等に対して相当な慰藉料を支拂う義務がある。諸般の事情を斟酌すれば右慰藉料は原告等各自に、金十五万円を以て相当とする。又原告久雄は右憲二の事故の爲葬式費用、医療費其他諸雜費金一万五千円を支出したが是亦被告の負担すべき損害である。仍つて被告に対し原告久雄は金十六万五千円、同房代は金十五万円及之に対する本件訴状送達の翌日である昭和二十三年九月二十三日以降完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支拂を求める爲本訴に及ぶと陳述した。<立証省略>
被告訴訟代理人は、原告等の請求を棄却する。訴訟費用は原告等の負担とするとの判決を求め、被告が都内電車による交通業を経営する会社であつて、訴外亡小山憲二が原告等の二男であつたこと、並びに原告主張の日時に、運轉士大木美喜男が原告主張に係る電車を操縱して、その主張の場所に於て右憲二と衝突し之が爲同人が死亡するに至つたこと及び被告が本件事故発生当時迄その電車に排障設備を取付なかつたことは認めるが右憲二の負傷の部位、及原告久雄の学歴、職業、資産状態及原告家の家庭状況は不知、其他の事実は否認する。被告の使用する運轉士大木は原告主張の日、電車を運轉して駒沢停留所を十七時三十分頃発車し弦卷方面に約二百二十米位西進したとき左側電柱附近に数人の婦人が立話をするのを瞥見し、警笛を吹鳴して進行中約十四米斜前方に憲二が南から北に駈け出し無暴にも電車の前方で軌道を横断しようとしたのを発見したので、警笛吹鳴と同時に急停車の処置を採つたが当時の時速は二十四粁であつたから制動効果を生じ始める迄約一秒を要し此の間約七米前進し、更に制動距離二十三米前進して漸く停車したもので、本件事故は全く不可抗力に基くものであり、右運轉士大木には何等過失は存しない。又被告が車輛を営業線に使用するについては当局の檢査を受けて合格したものを使用するのであるから被告が車輛に災害予防設備を施さぬ事が、義務違反とはならない。從つて本件事故発生に付き被告に過失はない。因つて被告は何等原告等の損害に付、賠償の責を負うものではないと述べた。<立証省略>
三、理 由
訴外憲二が昭和二十三年五月二十日午後五時三十分頃東京都世田谷区新町一丁目百十番地先、通称厚木街道路上を横断せんとした際、被告経営の澁谷発二子玉川行電車(第十五号運轉士大木美喜男)と衝突し、之が爲右憲二が傷害を蒙り死亡するに至つた事実は当事者間に爭いがない。そこで被告の被用者である運轉士大木の過失の有無につき考察すると証人平泉小太郎の証言により原本の存在並眞正の成立を認むる甲第一号証の三、四、証人千葉壽一、大木美喜雄、小川鞠子、神田千代の各証言並に檢証の結果を綜合すれば本件事故の発生現場は東西に走る幅員約十一米四〇の所謂厚木街道で、其の中央より稍北方に偏して上下線二條の電車軌道が敷設せられてあり、稍屈曲しているけれども前方の見透しには何等の支障ないところ、前認定の日時頃被告会社の運轉士大木美喜男は電車を運轉して時速約二十五粁で現場に差蒐つた。右現場の東南方には憲二等二、三名の子供が佇立していたけれども大木は之に気付かず進行中、憲二は右軌道に沿ひ西方に駈け出し突如電車の前方を北方に横断しようとしたが、大木美喜男は其の前方約四米に近接して始めて同人に気付き急停車の処置を講じたけれども、時既に遅く電車の前部を同人に衝突せしめ原告主張の如く憲二をして死亡せしめたことが認められ、右認定に反する証人大木美喜男、羽鳥嘉男の各証言及乙第一号証の記載は措信しない。
而して市街の路面電車を運轉する者の如く人に危害を及ぼす虞ある業務に從事する者は軌道に近接したり之を横断する者のあるべきことを慮り常に進路の前方を注視すべきことは勿論であり、特に軌道附近に幼兒が佇立しているときは、往々にして電車の進行に介意せず、突然電車の前方を横断する等の挙に出づることもあるので、特に警笛を吹鳴して其の注意を喚起すると共に、具に其の姿勢態度等に留意し、咄嗟の事態に対処して機宜の措置が採られ得る様に速度を低減し危害を未然に防遏すべき周到な注意を爲すべき義務あるに拘らず、大木は此の注意義務を怠り、本件事故発生場所の南方に憲二等数名の子供等が佇立していたことに気がつかず警笛を吹鳴することもせず漫然二十五粁の速度を以て電車を進行せしめた爲本件事故を惹起したのであつて、大木は過失の責を免れないものと断ぜざるを得ない。而して被告が電車運輸業を経営する会社であり大木美喜男が被告に使用されて運轉業務に從事し、被告の事業を執行するに際して本件事故を惹起したものであること並に原告等は被害者小山憲二の父母であることは当事者間に爭ないところである。因つて被告は原告等が憲二の死亡により蒙つた損害を賠償する責に任ずべきことは明らかである。仍つて進んで損害の額につき考えると原告小山久雄本人の供述によれば、同原告は憲二の死亡により治療費及び葬儀費等合計金一万五千円余を支出したこと、及同原告は慶應義塾大学経済学部を卒業し、現在国産鉱油株式会社に勤務し、財産として現居住の木造瓦葺二階建住宅一棟延坪三十八坪二合を所有し、右家屋の一部賃貸料と俸給を加え一ケ月の收入は金三万円程度であり、同人の妻である原告小山房代との間に三人の子供があり中流の生活を営んでいる事実が認められ原告等が憲二の死亡に因り相当な精神上の苦痛を蒙つたことは推測するに難くない所である。然し、当時右憲二が七才であつたことは被告の明らかに爭はない所であり、本件事故現場は近所で魔の場所と呼ばれ既に十度以上事故が発生したことを原告等自身も承知していた事実が原告久雄本人の供述から認められるところ、交通機関による危險性の認識と危險の避讓に付、十分な能力を有しない幼兒が右の如く危險な場所に赴かざるよう親権者たる原告等に於て相当な注意を加へ若し斯様な場所を通行するときは原告等が自ら又は適当な附添人をつけて監視を加ふる等事故の発生を未然に防止し、併せて交通機関の円滑な運行に支障を與へない様協力すべき義務あるに拘らず、この義務を怠り右憲二を放置し單独行動を採らしめて顧みなかつたことに付過失の責を免れないのである。仍つて原告等の右過失を相殺して原告等の損害額は原告小山久雄に於て金四万円、原告小山房代に於て金三万円を以て相当とする。從つて原告等の本訴請求は右各金額及之に対する不法行爲の後たる昭和二十三年九月二十三日から完済に至る迄年五分の割合による金員の支拂を求むる限度に於てのみ正当として之を認容し、其の余の部分は失当として之を棄却し訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九條、第九十二條、第九十三條仮執行の宣言に付同法第百九十六條を夫々適用して主文の通り判決する。
(裁判官 岡部行男)